私と麻夜子が、祭りの会合に来た大勢の来客の前にでたのは、夜の宴会が始まってからだった。主に食事を運び、食べ終わった皿を片付ける。ビール瓶を持っていくと、既に数杯飲んだ後だろう、「かわいこちゃんひっく、お手伝い偉いねえ〜ひっく」「おじょうちゃんおじさんにも注いでよ」などという少々下品な声色に絡まれた。子供には重たいビール瓶を傾けるのは一仕事だったが、私は精一杯のぎこちない笑顔で繕った。
私は麻夜子と鶴の姿を探した。
縁側の席で、麻夜子が年配の人たちを相手していた。麻夜子は地主の娘なので、祭りの会合に集まる人の大半は麻夜子が生まれた時から彼女を可愛がっていた。だから、麻夜子も馴染んでいて、緊張の色はどこにもみえなかった。むしろ、お刺身を食べさせてもらったりなんかして、手伝うことを忘れているようだった。
ひとつ隣のテーブルでは、鶴がお酌をしていた。手慣れた様子でこなし、酔ったおじさん達にも動じていないようで、小さいけれど一人前の女中だった。
ーーいつも屋敷で働いているのだろうか。
ふと、ぼんやり彼女の笑顔を見てそんなことを考えた。

夜の10時。月も高々と照らす刻となった。
「はい、ご苦労さまでした!すごく助かったわ」
裏で料理を作ったり盛り付けたりしていた大人たちは、厨房から出てきて、子供の鶴と麻夜子と私に向かって言った。
子供の手伝いの時間はおわりをつげ、今度は大人たちが泊まる客の相手をする番だ。
泊まる客も家が屋敷から遠い5、6人しか残らないが、ここからが長い宴会の始まりと言っても過言ではない。その相手は到底子供では勤まらないわけで。
私たちは割烹着を大人に返して、宴会場の縁側を挟んで向かいの間へ移動した。今晩は私と麻夜子も泊まることになっていたからだ。最初はおじさん達とはしゃいでいた麻夜子は、終わり頃にはうつらうつらしていて、私がおぶって宴会場を後にした。屋敷の中は広いので、ぐるりと回ると結構歩くのだ。
「麻夜子ちゃん、寝ちゃったね」
鶴が麻夜子の寝息を聞いてふふと笑う。
「鶴さんは眠くないの?」
「私は大丈夫だよ。光ちゃんは?」
宴会の始まりと同時に散り散りになって動いていたので、鶴とまともに会話をするのは初めてだった。昼間の自己紹介の時も、既に女用の着物に着替えていたため彼女は私のことを女子と勘違いしているのだろう。
案の定、
「僕も…少し疲れたけど大丈夫です」
という返事に、
「…ぼく…?」
と首を傾げられた。
「あっえっと、男なんです、僕…着物がなくてこんなの着てるけど」
「そうなの!ごめんなさい、わたしったら女の子だと思っていたの。じゃ、じゃあ光くん…?」
彼女は大層驚いたようで、大袈裟に慌てた。ぱっちりとした瞳が更に丸くなる。
「なんでもいいですよ」
ああびっくりした、と胸をなでおろす彼女の横顔につられて私も笑う。
なんだか、今日の中でやっと肩の力が抜けたような気がした。初めての場で初めてのこと。自分で思うより、きっとからだは疲れていた。
今夜泊まる部屋に着き、背中の麻夜子を布団に降ろす。少しの衝撃では微動だにしない。既に深い夢の中のようだ。
ふうとため息をつき、後ろを振り返る。すると、暗がりの中、掛け布団を押入れから出してくれていた鶴とぶつかり、彼女が押入れからこぼれた布団の山にぼふりと落ちた。
「ご、ごめんなさい…!」
私は慌てて謝る。上にかぶさっている布団を退かすと、顔から盛大にダイブした彼女は、ごろりと、その上で仰向けになった。ぱちり、目が合う。
白い布の上に散らばる彼女の結った髪が、暗がりの中でも黒々と映えていて美しかった。叢雲が動いて、月明かりが垣間見えると、彼女の顔がよく見えた。宴会であんなに明るい笑顔を振りまいていたのに、今の彼女の表情は、なんだか泣き出しそうに見えた。
「お月さま、きれいね」
彼女は呟いた。
もう少しで満ち足りそうな月が闇夜に浮かんでいた。
「生まれ変わったら、お月さまになりたい」
「こんな暗闇でも、足元を照らしてくれる。はっきりじゃないけどすごい眩しくもない、この優しい光がすき」
布団に寝転んだまま、彼女は浮かぶ月を見つめていた。独り言のような彼女の言葉には、強い想いが込められているような気がした。けれどそれが何なのか、希望なのか後悔なのか戯言なのか、夢、なのか。読み取ることはできなかった。
「今日、鶴さんがいてくれて、僕は良かったです」
私は言った。
「ひとりじゃ、絶対緊張して、手伝えなかったと思うから」
「…そうかな」
「はい、良かったです」
自分でも驚くほど、迷いない声だった。
「…へへ、わたしも、光くんいてくれて、よかった。他の女中さんはみんなすごく年上だから、寂しかった…。でも今日は、光くんがいてくれて、良かったよ」
彼女ははにかむ。月明かりは彼女の顔を青白く照らし出したけれど、きっと照れ笑いだっただろう。

「…つるこ」
「え?」
小さく呟いた彼女に、聞き返す。
さっきまでの泣き出しそうな顔はどこにもなかった。
「わたしの名前。鳥の鶴じゃなくて、さんずいの津に、流れるに、子どもの子で津流子。お友達になってくれると嬉しい」
翌日、一泊二日の手伝いは無事に終わりを迎えた。






その後、光は再び屋敷を訪れることはなかった。
津流子を思い出すこともなかった。


fin