いたずら娘




珍しく私は昼間自室にいた。
「旦那さま、お珈琲をお持ちしました」
と、襖の開く音がして、盆の上に珈琲に茶菓子を添えて持つ藤桜が現れた。
挽きたての香ばしさが部屋中に広がる。
「ありがとうございます、頂きます」
私はまずはと、甘味を入れずに味わうべくカップを傾けた。
その時、味の感想を気にする藤桜の背後の襖から、にたり、といやらしい笑みをしながら右手に練り辛子を掲げる子どもの姿を見た。
「!!」
やられた、と思った時には、口の中は苦味と辛味を超えた未知の味覚で侵され、悶絶した。
「旦那さま?!大丈夫ですか?!!お口に合いませんでしたか?!?、、アッ」
畳に突っ伏す私の背中を藤桜が半泣きでさするので、なんとか彼女のせいではないことを伝えるため、堪えながら彼女の後方を指す。すると彼女にもその子どもの姿が映り今の状況を把握したらしい。
同時にドタドタと廊下を全力疾走する足音が聞こえる。
「す、すずちゃん!!また、、、!だ、旦那さま、今お水をお持ちしますからあ!」
逃げる子どもを追いかけ、慌てふためき部屋を飛び出す藤桜の姿が見えなくなると、私は畳を転げ回り、その味覚を全身で表現するのであった。


その子どもーー珈琲に練り辛子を投入する芸当をして見せたのは、すず。8歳。小学生。ふたつ横に分けお団子を結う黒髪。ぱっちりとした黒い瞳。
いつも元気よくすばしっこい。年上との関わりを好み、口だけはませている。ある意味年相応な子どもらしい子どもだった。
すずは朔と共に屋敷にやってきた。朔が来たからついてきた、という感じで、すずが手伝う屋敷の仕事については給与の出ない「お手伝い」に過ぎなかった。それでもたまに、駄賃としてお菓子をもらっているのを見かけたこともあるが、それくらいだ。
女中として「彼女たち」の中にいるものの、いたって普通の小学生。年上の彼女たちを「おねえさま」と呼び慕っていた。特に藤桜とよく遊んでおり、休みの日になると、街へ買い物をしたり電車で遠出をしたりしては、よくお土産を買ってきて自慢をしていた。
私との生活リズムがまるで逆なので、なかなかに顔をあわせることはない。顔を合わせても朔の後ろに隠れて何故か私を敵視する形相で睨んでくる。初対面でうっかり着替え途中の彼女と遭遇してしまったからだろうか、以降「ヘンタイ!変質者!」と罵られる様だ。「その論法ですと変質者は下着一枚で廊下を走っていたあなたでしょう」と返すと「コノへりくつヤロー!」と彼女の外見からはあるまじき言葉を投げられ訂正を諦めた。
「おねえさま」と朔たちを慕う彼女と、私を軽蔑する彼女はまるで別人だ。朔はその言動を母のように窘め、藤桜と雛菊姉妹は「きっと旦那さまに構って欲しいんですわ」と微笑む。
最近ではそれに付けて、物を隠したり投げつけてきたりあからさまな嫌がらせをしてくるので、少しムキになり追いかけてやった。無論彼女は舌を出して駆けていくだけ。後で朔にこってり怒られ、ものすごく落ち込んだ顔で私にごめんなさいを言って逃げていったのをみて、少し気の毒な気もした…。

その矢先に、辛子珈琲である。全く反省はしていない。今日も朔の雷が数時間落ちるだろう。そして私は数日寝込むだろう…。
私は藤桜の持ってきた水と茶菓子(藤桜が「毒見します!」と先に食べた)を口に含み、声が出ないなどという大事には至らなかった。
安堵の表情を浮かべる藤桜と談笑していると、またしても襖からすずの視線。どこか不服そうな目をしていたので、こちらから目配せすると、やはり舌を出して去っていくのであった。
そんな風に、時折身の危険を感じるが、喜怒哀楽を思い切り表現する彼女はの存在は飽きない。と同時に、どこか共感できる感情もあった。

本来、すずが頼るべき甘えるべき両親の姿は、ない。
大人をからかっては様子を伺うことも、きっと最も信頼すべき大人に対して行うはずだった、すずなりのコミュニケーションなのだろう。だから双子姉妹の言う「構って欲しい」は案外その通りなのかもしれない。
すずにとっても、彼女たちはきっと家族同然の存在なのだ。そう思えば、多少のいたずらを頭ごなしに咎める必要はない。適度に付き合っていたら、いつか間合いを詰めて会話ができる時がくるだろう。
私はその時まで、すずのいたずらを許せる相手でいようと思うのであった。