名もなき屋敷
見渡す限りは、民家と畑と田んぼ。自然が多い場所ではあるが、家屋はいたって現代的なものが多い。
去年の夏、ここ一帯では築年数が最も古いと思われた木造の長屋がついに潰れ更地になっていた。
そうかと思いきや、半年後にはコンクリートの土台が造られ、今春にはその上にセピア色のレンガを美しく並べたテラスハウスが出来上がっていた。その速さはまるで生えたようであった。近くのコンビニエンスストアに行くにも車が必要な環境にもかかわらず、テラスハウスは瞬く間に満室になったのだ。
そうして、どんどんと迫りくる近代化に染まってゆく土地に、その屋敷はあった。
きっと新しくテラスハウスに越してきた者は知るはずもないだろう。
普通に住宅街を歩いていても、その姿は確認できない。
なぜなら、隠されるように、まるで近代化の波から守るかのように、森が屋敷を取り囲んでいるからである。
その森を抜けなければ屋敷の姿を目にすることはできない。
例え森の奥に屋敷があることを知ったとしても、散歩道すら整備されていない森に踏み入る者はまずいない。知る人ぞ知る存在であった。
時を超えたと錯覚させるかのような和風庭園が広がる。
そして庭園をコの字で囲むように建立された大きな長屋敷。後から増設したのだろうと思わせる、簀の子や渡殿で部屋を繋いであるのが見える。
遣水のせせらぎや鹿威しなどの風流な声に耳を傾けながら、前裁と芝生の間の敷石を歩くと、屋敷の入り口にようやく辿り着く。
かつて栄えていたことを思わせる寝殿の立派な門構えは古びているが、威厳さは忘れていない。
屋内に踏み入る前に、私はもう一度来た道を振り返る。とっくにいつもの民家は見えやしないとわかっていたけれど。
私の視野には、夏風に吹かれてさわさわと揺れる木々と、その木々の間にぽっかりと、空の青があるだけだ。
まるで太陽と空が、この庭と屋敷と私のためにあるかのように。
まるで木々が、私だけの世界を与えてくれたかのように、ただただ美しかった。
Fin
H27.12.20